BIOGRAPHY

アーデルハイド(ヨーゼフくろひじ):バイオグラフィ


※1981年結成。紆余曲折を支離滅裂に繰り返して、今年で32年。 

※80年代は、1981年高校三年生の時に、ヤマハエルモーション音楽祭ジュニア部門・楽器店大会で優勝し、北九州代表に選出され、九州大会(福岡サンパレス)に出場し、テレビなどにも数回出演!それで行ける!と勘違いしてしまい、カセットMTRによる多重録音で100曲近いオリジナル曲を(J-POPからロックまで幅広く)制作&録音したりする。(後にこの経験が楽曲を客観視できる耳を養った様な気もする)また、北九州のライブハウスに頻繁に出場したり、たまに音楽コンテストなどに応募したりして、最優秀ボーカリスト賞などを幾度か受賞するも、これといって陽の目は浴びず。。。。でも、あきらめ切れず、ずるずると続けてしまう(笑) 

※1991年オリジナル曲「メロンパン」がFM福岡「スーパー・レディオ・クラッシュ~なんでもテープベスト10」で紹介されその後、14週間に渡りランクイン。4週連続1位となる。その後同番組に「カレーパン」(1992年)も13週間ランクイン(最高位2位)「緊張の夏」(1994年)は、実に18週ランクイン(最高5週連続1位)。また番組を通じて知り合った北九州のミュージシャン仲間(山形公規・ミステリアスケイト・高田文豪と紅小町)で、クラッシュ・北九・オールスターズの名義で共作した「曽根干潟の歌」も3週連続1位(番組最終回時)を獲得。この「曽根干潟の歌」は、後になって、小倉南区曽根東小学校の音楽の題材としてもとりあげれらた。以後、福岡を拠点にライブやテレビ・ラジオの仕事をこなす。当時発売したオリジナルアルバム「馬の耳に念仏」「メロンパン」の2本のカセットテープは、天神ビブレホールなどのプレイガイドで合計500本近く売れる。 

※1995年FM福岡の深夜番組「アーデルハイドのいかすぜこの曲」のパーソナリティを一年間勤める。番組は、当時としては画期的な昔懐かしのアニメソングを特集するなどのアイディアで、話題になり、深夜3時放送としては、異例の多さの枚数のハガキなどが番組に寄せられ、高い反響を呼ぶ。(番組終了記念イベントでは150人の動員を記録)尚、一年間を通じて番組に寄せられた数百枚のハガキ・封書・FAX等は、現在でも大切に保管し私の宝物となっている。 

※そういった追い風を受けてインディーズレーベル「クラッシュレコーズ」から念願の初めてのCD「ラテンの洗礼」を九州各地のレコード店にて発売!結果2000枚のセールスを記録。中でもダイエー王監督就任時の応援歌「情熱のフラミンゴ」は、RKBテレビなど各種メディアや福岡ドームのビジョンでも、プロモーションビデオが多数流れ反響を呼ぶ。そしてなんと…王監督のマネージャーさんからお電話を頂き「王監督がありがとう!と伝えて下さい」との伝言まで頂き舞い上がった事も…(笑) 

※1996年、突然の父親の急死により、家業を継ぐために、放送業界、音楽業界から、身を引くことを余儀なくされ、メンバーにも愛想尽かされ、そのまま解散。そして多額の借金と様々な責任を一気に背負い日々を懸命に過ごす。 

※その頃、書いた楽曲が、後に私自身を励ます歌となった「FAMILIA」。この曲は、私が大好きな画家シュールレアリスムの巨匠ルネ・マグリットの「大家族」という絵画にインスピレーションを受け出来あがったもの。この時期この曲を書いた事で、音楽の再開を願い模索し始める。 

※2000年、ハードロックバンドとして活動再開。2001年、一発録音による名作CD「Keep Going!」を発売、九州各地でライブを精力的にこなし、300枚のセールスを記録。しかし、2002年CD「かかってきなさい!」録音中に、突如活動停止。だが翌2003年発売された同CDは、活動休止状態の中ホームページだけの通販で150枚のセールスを記録し完売となる。 

※ナレーション業では、2002年~2003年にかけ、下関カモンFM、福岡FM-MIMI、久留米ドリームスFM、椎田スターコーンFM、玉名ほっとラジオ、のコミュニティ5局ネットという画期的な策で「アーデルハイドのいかすぜこの曲」(リメイク版)の番組制作&放送を実現。その下関カモンFMでは、土曜朝の情報番組のパーソナリティを2年間勤め、RKBラジオでも夜9時からの「ユア・ヒット・パレード」でも週一のレギュラーも務める。またCROSS FMなどのCMナレーションも何本か担当する。そんなバンド活動停止時期にも、RKBラジオの人気パーソナリティ「鬼橋美智子」さんへの楽曲提供&録音・プロデュースや、下関での「あぁ巌流島」の作曲コンテストで優勝し、録音&CD化にも貢献。この時期には、保育園や施設での、訪問童謡ライブ!などでも活躍。 

※2005年頃から、流行の兆しを察知し、インターネットによる個人・音声発信の「ポッドキャスト」にもチャレンジ。得意のブラックジョークで時代を風刺した「トラヲとカンヂのかく語りき」がネットで話題を呼び、第1回ポッドキャスト大賞の最終選考10組まで残り、apple社の iTunes music store のスタッフおすすめポッドキャスト番組に選出され、3ヶ月間、同サイトのTOP画面で紹介される。 

※2007年。ハードロックバンドのアーデルハイドは、Drum Logosで再復活。その時のライブを4台のカメラで収録・4ヶ月かけて、自宅編集し、2008年1月初のライブDVD「アーデルハイドALIVE!」を発売!その勢いに任せ、生涯最大の決心のもと「北九州鋼鉄会」なる団体を旗揚げし、その代表を務めロックシーンの活性化を試みる。そして精力的に九州各地でライブを開催。県外の団体やバンド・ライブハウスとも積極的に交流を図るべく、九州内外のライブハウスに精力的に出向く。 

※そんな中、アーデルハイドは、2008年夏「ナイスミドル音楽祭」福岡代表に選出され、ZEPP福岡での九州大会に出場。そのまま調子に乗りアーデルハイド史に残る(自称)最高傑作CD「Over the Century」を発売するが、セールス的には大失敗(苦笑)時代が要求する流行音楽と自身が生みだす音楽志向のズレを痛感する事になる。案の定、翌2009年発売したシングルCD「FAMILIA」も殆ど売れずに終わってしまう。それでも、ライブ活動を、こなすことが、北九州鋼鉄会イベント等での、引率役になると信じて疑わず、必死に骨身を削ってはみるが、結局(心の弱さからか)息切れしてしまう。 

※そして2010年3月ー。苦悩と葛藤の中で生まれた渾身の鎮魂歌「戦車~あなたに正義は、ありますか?」のCDを無料配布するその日のライブ本番2時間前に(自身の心の糸が完全に切れてしまい)苦渋のバンド解散を決意。その結果、孤立無援状態となり、北九州鋼鉄会の代表及び会そのものからも、退陣を余儀なくされる。 

※完全引退を決意し過ごしていた2010年・夏。あるイベントの誘いを強く懇願され、ライブ出演を承諾。結局、ギター&ボーカルで、変則ロックユニットとして再始動。気が付いたら2011年は、近年例を見ない程のライブをこなした。… 

※2011年、死をテーマに、切なくも熱く歌い上げる新曲『21グラム』が全国発売のインディーズ・オムニバスCD『SUMMER WAVE 2011』(9月1日発売)に、収録され・発売! さらに、itunes music store や music.jpなどでも配信される。 

 

※2012年、初めてのTBS系列の全国テレビ『ニッポンいじるZ』にも出演 と躍進の矢先、ギターが、家庭事情により2月、アーデルハイド主催イベント『LOUD PORK』を持って、卒業。その後、ヘルプメンバーとして、山内義博(Gt)秋元多恵子(Key)川口亮(Gt)らの協力でのライブ継続を経て、7月に10年振りに2000年時のメンバーで再結成するも方向性の意見相違により7度のライブをするに留まった。

 


※アーデルハイドは、現在・流行している「癒し系音楽」とは、完全に対極に位置する「魂の叫び系音楽」であり、聴いてくださる方、一緒に出演するアーティストの方、みなさんのハートに「元気」「勇気」そして何より「やる気」の灯火を点火出来たら、それだけで本望であります!